少し早起きをして,宿舎から松屋町筋をどんどん南へ・・・。お寺さんばかりの街並みを下っていきながら,天王寺駅へ・・そして,少し学会場へ戻る途中に四天王寺があります。

西大門(極楽門)から入らせていただきました・・・丁度,四天王寺学園中・高もあって,学生さんたちも通学で入ってこられてました。当寺のHPによりますと「四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。 今から1400年以上も前のことです。 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。」とのことです。
南大門の不動明王ですよね,これは。

多分
中門越しに,五重塔を見ています。
金堂もあるのですが,中には入れませんでした。
それぞれの由緒も記してあります。

広大の敷地には圧倒されます。そして,当時の装いなのでしょうが,所謂今のお寺さんというより,その色使いなどもやはり大陸の影響なのでしょうか?
南大門東よりは,少しお寺さんの印象が強くなります。
熊野権現礼拝石ですが,ここから熊野詣をスタートするそうです。
ここの伽藍の配置は・・・「その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。 その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。」・・ということだそうです。
南鐘堂:鯨鐘楼です。
聖徳太子由来の太子殿・経堂などもあります。
太子殿の上は,金色の・・これはなんていう飾りでしたっけ?? 輝いています。
さて,五重塔と金堂のある四天王寺の旧境内の北よりには,池や六時堂(昼夜6回諸礼讃をするのでこの名前だそうです)もあります。
この辺りに来ますと本当に仏教寺という感じになってきます。
この池の所には,亀も沢山居ました。
また,この礼讃の場所では,厳かな気持ちにもなります。重要文化財だしね。
少し泣き出しそうな空でして(実際,この日はその後雨でした),で,その少し重たい空を映す池の水面にも,しかし,ご加護があるようにも感じられます。
六時堂からは,丁度,朝のお祈りを終えられた僧侶の方々が,朝のお勤めを終えられて,出入りされてらっしゃる様子が分かりました。
元三大師堂には知恵の輪がありました。一応,僕も智恵の領域で仕事をしていますし,お祈りしながらくぐってきました。
北の方には,多くの境内院がありました。大きなのは東光院など・・・。
本堂は,関係者以外立ち入り禁止でした。それで,太子殿などと,本堂の間の辺りを散策しました。
亀遊嶋辯才天が,東よりにあります。「毎年10月初旬には秋の大祭として、5日間法要が行われる他、境内一円では大古本市が催され、大変賑やかです。」とのことです。
さて,曇りがちの空でしたので,春の陽気に浮き立つ花,という感じでもなかったですが,それでも,境内をくまなく歩いて,最後に,きれいな花を愛でることが出来ただけで,気持ちが穏やかになりました。
土の地面と亙の波と,そして,漂う香の匂い・・・先祖を敬い,今,自分が居ることをありがたいと感謝する心・・そういうものを,なんだか多忙な学会の合間にでも感じることが出来ると,それは気持ちを整えてくれて,また,元気の素にもなってくれるようです。

合掌
最後は東大門からお暇しました。